戦後79年に思う。いかに平和日本が生まれたか。
2024年8月21日
昨日、8月20日友人に誘われ磐田市鮫島海岸を空撮してきました。
この海岸こそ、昭和20(1945)年8月20日日本の降伏文書など重要書類を輸送してきた
緑十字機が原因不明の燃料不足で不時着した鮫島海岸なのです。
不時着した時間は、午後11時55分ごろで深夜になりますが、昭和20(1945)年当日も、
本日のように満月であり、海岸線が見えていたのかもしれません。
当時、この海岸の風景を搭乗していた15名は決死の覚悟で見ていたものでしょうか。
しばし、搭乗員に見ていた風景かもしれないとドローンを飛行させていました。
戦後79年、海岸に来ていたお嬢さん方お二人に「終戦を知っていますか?」と
質問してみると、辛うじて8月15日は知っておりましたのでほっとしました。
8月20日、この日の鮫島一帯の住民の皆様の献身ありて今の日本の平和があることも
強く実感し、一つ駒が狂えば「平和」は簡単に崩れることもありうるのだと感慨深い
一日でした。
この海岸こそ、昭和20(1945)年8月20日日本の降伏文書など重要書類を輸送してきた
緑十字機が原因不明の燃料不足で不時着した鮫島海岸なのです。
不時着した時間は、午後11時55分ごろで深夜になりますが、昭和20(1945)年当日も、
本日のように満月であり、海岸線が見えていたのかもしれません。
当時、この海岸の風景を搭乗していた15名は決死の覚悟で見ていたものでしょうか。
しばし、搭乗員に見ていた風景かもしれないとドローンを飛行させていました。
戦後79年、海岸に来ていたお嬢さん方お二人に「終戦を知っていますか?」と
質問してみると、辛うじて8月15日は知っておりましたのでほっとしました。
8月20日、この日の鮫島一帯の住民の皆様の献身ありて今の日本の平和があることも
強く実感し、一つ駒が狂えば「平和」は簡単に崩れることもありうるのだと感慨深い
一日でした。